No.151:なぜ製造業では、品質保証部が疲弊しているのか?その真の原因はずばり!

コラム№151


出された組織図には、新設部門として品質保証部があります。


食品メーカー社長から、来期に向けた組織変えのご相談をうけました。
 
そこで矢田は質問をさせていただきました。
「品質保証部って、何をする部門ですか?」
 
最初は何を?という顔の社長も、少しの説明でこの質問の趣旨を理解されました。
そして言われます。
 
「品質保証部は、最小でなければいけませんね。それどころか、無いほうがいいぐらいですね。」
 
 
「品質」という言葉の定義を決める


その組織として「品質」という言葉の定義を決めることは非常に重要です。
私は常々、仕組みとは、『文字』であるとお伝えさせていただいております。
 
仕組みとは、「人をある方向に導くもの」と言えます。
文字にも、それと同様の働きがあります。
文字には、「人をある方向に導く力」があります。
 
例えば、駅前に、「このエリアでの喫煙を禁じる」と張り紙があれば、それに人は従うことになります。
そこにその張り紙があることで、「喫煙を禁じる効果」を発揮するのです。
その張り紙に従うことなく、喫煙をすれば、頭では「気にしない」と決めていても、心はどこか落ち着かない状態になります。そこには周囲の目があり、ルールを破ることは、「社会性により生き残ることをする人間」には、居心地の悪さを抑えられないのです。
 
この文字の力は、組織を機能させるためには、非常に有効な手段となります。
経営計画により、組織全体を、その方向に進むように仕向けます。
方針を出すことで、どんな行動が正しく、何が悪いのかの判断をさせます。
求める社員像や評価基準により、社員を「形」通りに育てます。退場の機能を持たせることができます。
 
経営者は、ある意図を持って、文字により、組織や社員を「ある方向に導くという責務がある」ことを自覚する必要があります。
 
そして、その「文字」を使う上で、絶対に認識しなければならないことがあります。
それは、「文字」の意味は個々人が違うものを持っているということです。
人は、育った環境や経験から、自分なりの「文字」の意味を持っています。
 
金儲けという言葉でさえも、「ワクワクする」、「多くのお客様に貢献できた結果」というイメージを持つ人もいれば、「汚い」、「人をだます」というイメージを持っている人もいます。
また、「工場をきれいに保つ」という「きれい」と言う言葉にも、大きな差があります。
 
私が大手ゼネコンの時に、この私が持つ「きれい」が共通語で使える既存の外注業者と、使えない新規の外注業者がいました。「きれい」の言葉を共通語にするために、基準となる資材置き場の写真や服装のイラストを使い、何度も説明をしたのを覚えています。
 
前回のコラムで書かせて頂いた「品質を決める」とは、一つひとつの言葉に対し、自社で定義付けをする行為と言えます。
きれいな現場とは何か?気持ちがいい挨拶とは何か?お釣りを返す時の動作はどういうものか?
それについて、すべてを定義するのです。
それにより、サービスの基準が出来、文字の持つ「人をある方向に導く力」により、その通りに実現をするのです。
 
 
品質保証部の役割が間違っている現状


今、日本の製造業の多くの企業が、「品質保証部病」に犯されています。品質保証部の担う業務が肥大化をしているという状態です。
 
・顧客からのクレームがあった、それに対しお詫びに走るのは品質保証部
・そして、その再発防止の対策を考えるのは品質保証部
・その報告書を作成し、顧客に提出するのは品質保証部
さらにその傾向を強くした企業では
・品質管理に関する書類などの作成や保管をするのは品質保証部
・出荷前の検査は品質保証部
というまでにもなっています。
 
この状態は、他の業界の人からすれば、まさに「異常」です。
モノを作ると言うことは、それこそQ(品質)、C(コスト)、D(納期)に責任を持つことです。
モノをつくるイコールQCD、技術イコールQCDと言えます。
 
ゼネコンの建設現場では、当然、施工管理を担う社員が、この品質管理すなわちQCDに責任を持ちます。施工不良が出れば、必死に原因追求と対策を考えます。施主さんにも自分たちでお詫びに行きます。
そして、その是正報告書を作成します。日々の品質に関するその書類の保管も当然自分たちで行います。
 
本社や支店に品質保証部があったとしても、それは、あくまでも「監視」機関です。
社として決められた仕組み(規則)を各現場が踏んでいるかどうかを、客観的な視点で監視監査するだけです。
そこに、指示命令権もなければ、ましてや、モノづくりに関する実務はありません。
 
システム開発業でも同じです。QCDに責任を持つのは、その技術者です。
そこにこそ、技術は存在するのです。
 
この当たり前が、多くの製造業では、崩れているのです。
その結果、QCDに対し、責任を持たない製造部が出来上がりました。
・不良が出ても、自分たちでその対策を考えません。
・報告書もつくりません。
・お客様にお詫びに行きません。
 
ゼネコンでは、こんな施工管理の社員は、存在しえないのです。どんな業界でもこんな技術屋は、有り得ません。
この時、製造部は何をするのでしょうか?品質保証部の下の、作業部隊となるだけです。
 
そこに、モノづくりに携わる者としてのプライドは、芽生えません。
 
 
品質保証部の役目が文字に定義されていないことが問題


私は、ここで品質保証部の役割について論じたいのではありません。
この事象がなぜ引き起こされたかです。
これこそが、文字の持つ力です。ある方向に導かれたのです。
 
この導かれた品質保証部の役目が、社長の意図したものであれば、何ら問題ではありません。
また、それで、社としての力を高め、顧客に更に貢献できるのであれば最高です。
 
しかし、この問題から見ると、そこに明確な意図されたものはありません。無いからこそこういう事態に陥ったのです。
「意図」されていないことのほうが問題なのです。
 
きっとそれらの会社では、「品質保証部」をつくるときに、明確な役割が文字で定義されていなかったのです。
また、合わせて「製造部」の役割も定義されていないのです。
そのため、「品質保証部」という文字の持つイメージが、強く勝ってしまったと言えます。
 
その名が、そのままその部門の役目になってしまったのです、「保証する部門」
 
きっとこの品質保証部の設立当初のメンバーには、「自分たちの力で、会社の不良を減らし、技術を高めようと」という熱き想いがあったはずです。そして、残念なことに、他に部門に対しては、「品質保証部」が「品質の役目」を担う、というイメージを潜在的に持たせてしまったのです。
 
不幸はここから始まりました、
部門を設けるときに、誰かが明確に品質保証部に対し、社内に対し、「品質保証部は、監査機関である」と通達する必要がありました。また、製造部に対し、「いままで通り技術屋としてのプライドを持ってQCDを追求してくれ」とも。
 
そのような会社では、品質保証部新設のためだけあって、優秀な人材が配置されます。そして、その人材は、頑張って、多くを発案し、その仕事を増やしていきます。合わせて、製造部は、その流れに乗って責任を軽くしていきます。気づいたときには、品質に対して責任のない製造部が出来ていました。
数年後、品質保証部は、膨大な業務に疲弊していきます。また、社内で一番行きたくない部門となっています。


社長が何かしらの意図を持つ、その社長の意図通りに動かすために「文字」を使うことが必要です。
文字はそれ自体に、意味やイメージを持ちます。
放っておいても、何かしらの力を持っているのが文字です。
 
だからこそ、意図を込める必要があるのです。
 
品質保証と言う言葉に、意図を込めないために、多くの製造業の品質保証部が疲弊しています。
また、そのために、製造部がプライドを失っています。
 
文字という武器のマスター無しに、年商10億も、適切な組織運営もあり得ません。
文字という武器により、社長は、多くの人を「導く」のです。その先には、顧客への大きな貢献と会社の発展があります。社員のやりがいもあります。

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