No.406:会社を売却して早く投資家になって引退したいというT社長とのエピソード

№406:会社を売却して早く投資家になって引退したいというT社長とのエピソード

T氏と初めてお会いしたのは、15年前に参加した異業種交流会です。
頂いた名刺の肩書の欄には、「事業家」と書かれていました。
 
私の表情をみて、T氏は「名刺の裏を見てください。」と言いました。
言われるままに名刺をひっくり返すとそこには、複数の事業が書かれています。
 
その時の私は、素直に「すごいですね。」と答えていました。(笑)
そして、私は、頭に浮かんだ質問をそのまま口にしました。
「Tさんの人生の目標は、なんですか?」
 
「沢山の事業を作りたいです。そして、それを早く売却し、投資家になって引退がしたいです。」
今回のコラムは、若かったT氏と若かった私の、間違いだらけの15年間のお話です。


T氏とのその後の関係は、数回、異業種交流会でお会いした時に立ち話をした程度です。
私が会に参加しなくなって一年が経つころ、T氏から連絡がありました。
「矢田さん、相談したいことがあるのだけど。」
 
ホテルのラウンジで待っていると、手を振りながらT氏が寄ってきました。
一見、変わらずの元気溌剌そうなT氏、しかし、席に着くと、顔に疲れを見ることができました。
 
お話を聴くと、抱えている事業は6つ。しかし、どれも中途半端とのこと。
二つの事業が、1千数百万円規模でした。他は数百万規模で、殆ど動いていない事業もありました。
事業内容を聞き、私は、「大きくなる事業の条件」を説明しました。(この当時、すでにその条件を掴みかけていました。)
 
それから事業構築のテーマでコンサルティングをさせていただくことになりました。
そして、1年後には、これだという事業モデルを一つ作り上げることができました。そして、もう1年後には、その事業は、売上が2億円(粗利70%)を超えることになります。
 
そこで、契約は終了となりました。最後に、T社長は言われました。
「矢田さん、ありがとうございました。これからガンガン売上げ伸ばしていきます。」
私も、その成果に満足していました。
「はい、T社長なら間違いなく成功されますよ。」
 
それから3年、T社長と連絡を取り合うこともありませんでした。
暑い夏のホーム、新幹線に乗り込むタイミングで、T社長からの電話がありました。
「先生、お久しぶりです、相談したいことがあるのですが。」神妙な声です。
 
当社の事務所に来ていただき、お話を聴きました。
T社の事業は、年商4億円近くまで伸びていました。そして、社員数は約20名です。十分成功しているように思えます。
 
しかし、社内は問題だらけとのことでした。社員のミスが多く、お客様からのクレームが続いています。社長自身も案件漬けの毎日です。そして、社員同士のいざこざもあり、主要メンバーである3名から辞表を出されたとのことでした。
「先生、彼らがいなくなれば忽ち業務は回らなくなります。いままで築いてきたものが一瞬で崩壊していくようです。」
 
この話をお聴きして、私は、反省をしました。
前のコンサルティングを終える時に、はっきりT社長に薦めるべきだったのです。「事業はできました。次は、仕組みと組織をつくりましょう。」と。
 
当時の私には、そこまでの力も確信もありませんでした。
「事業をつくることと、仕組みをつくること、そして、組織をつくることは、全く別物であることに」。この日まで、能力の高いT社長は、その後も順調に成長発展されているだろうと勝手に思い込んでいたのです。
 
 
人生で「これだ!という事業モデル」を見つけることができる社長は、10名中3名ぐらいです。その3名は、どんどん売上げが伸びる時を経験できます。
そして、仕組みと組織をつくり、その後も伸び続けることができる社長は、3名中1名です。
 
こんな割合なのです。一つのこれだという事業モデルを見つけるのも大変であれば、仕組みと組織をつくるのも大変なのです。
 
T社長は、まさに「事業は伸びたが、仕組みと組織づくりでこけるパターン」だったのです。
いま思い返せば、これは、『必然だった』のです。
 
その面談で改めて、「仕組みと組織をつくりましょう」と提案をさせていただきました。
この時には、私は、仕組化と組織化の体系化(無駄が無くなる)を完成させていました。
T社長の死の物狂いの頑張りもあり、わずか1年でその全行程を終える事ができました。
社員が仕組みを回し、管理者が活躍している会社ができたのです。T社長は、ほぼ現場を離れられるようになりました。
 
T社長は、言われました。
「先生、勘と度胸で経営をやってきました。やはり、経営についても、体系的に学ぶことがすごく大切ですね。」
 
私は、この時のこのT社長の言葉を聞いて、気づきを得たことを覚えています。
「そうか、経営を体系的に学ぶところが無いないのだ。」
そのため、世の経営者は、自分の感覚や独学、そして、それぞれの専門家のアドバイスを受けて、経営をしている、という状況に気づいたのでした。
 
「事業・仕組み・組織を一緒に作っていく必要がある」、そして、「それを体系的に学ぶ必要がある」。この二つの気づきが、今のコンサルティングのプログラムの基となりました。
 
そして、T社は、また成長軌道に戻っていったのです。
 
また、連絡を取らなくなっていました。そして、ちょうど3年前の夏、食事のお誘いをいただきました。T社の年商は12億円になっています。
 
「先生、事業を売却しようと考えています。」
 
どうやら、「事業を売却し、そのお金で、昔からの憧れである投資家になって、自分は南の国に住む」ということをやってみたいと言うのです。
また、「T社を買いたいという会社がある」という話があったというのです。
 
私は、「それは、いいですね。」と答えました。
T社長は、表情を変えず、私のその答えを聞いていました。
 
そのT社長の表情を確認し、私は「こういうのも、いかがでしょうか」と、他のプランもご提案させていただきました。
・今の事業は、優秀な社員(ナンバー2)を代表にし、任せる。T社の「経営計画書による経営」の状態があれば、T社長の最低限の関与で、今後も十分伸ばせて行けるはず。
そのうえで
・T社長は、自由な時間と収入源を持った状態で、投資家人生に移ってはどうか。有望な若い人に、資金と経営ノウハウを提供してはどうか。
 
ようは、「売ってはいけない」と言う提案です。私は、何人かの「事業を売却された社長のその後」を観てきました。その結果としての提案です。
 
一人の社長が、人生の中で、これだという事業を見つけられるのは、そう多くは無いのです。それどころか、実際には、「一つ」だけなのです。
 
そして、世の中の経営者で、事業を売却して、ゼロリセットし、その後、また別の事業を立ち上げ成功している社長はまずいないのです。
 
その後、その社長は、「投資家」や「事業アドバイザー(顧問)」になっていても、かなり退屈な日々を送っているのです。自分でガツガツやっていたような、熱い日々ではないのです。
 
また、その立場になると、いままでのような社長仲間ともワイワイ飲めなくなるのです。
その結果、当然のこととして、衰えも早くなります。
 
T社長が言われる「早く引退したい」というのは唯の憧れなのです。また、T社長の個性には、全く向いていない生き方なのです。そして、それをT社長自身もなんとなく気づいていたのです。
 
T社長は、私の提案に「ありがとうございます。それで行きます。ここ数か月のモヤモヤが晴れました。」と言って、グラスに残ったビールを飲み干されました。
 
その席の終盤に、私は、「Tを買いたいという話について」、少し補足をしました。
・それはM&A会社の営業の常套手段であること。(その大方は、その話が決まった後に、その相手を探すものである。)
・売却額は、T社長が思っているほどのものではない。(実際には半額ぐらい。社長は、自分の会社を高く見積もるものである。)
 
また、あれから3年が経ちました。
T社長は、快進撃を続けています。

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